• 2024.3.18
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近世二本松城の石垣を築いた男~加藤明利~の足跡辿る

 にほんまつ城報館1階の二本松歴史館で19日から企画展「近世二本松城の石垣を築いた男~加藤明利と二本松」が開かれます。6月30日まで。

 「賤ケ岳七本槍」のひとりに数えられ、松山城を築いた戦国武将・加藤嘉明の三男で、1627(寛永4)年に嘉明が会津へ移った際、三春3万石が与えられ、翌年には二本松城主松下重綱の死去により、二本松城を居城としました。

二本松城の石垣の変遷が分かる史料

 二本松城の改修は、父嘉明と兄明成が会津若松城天守閣を再建したことを受けて行われた、といわれ、本丸石垣の拡張、搦手門(からめてもん)の設置、三ノ丸の平場整備が進められました。1598(慶長3)年の奥州二本松城図、1627(寛永4)年の正保城絵図、1868(慶応4)年の二本松城郭全図から改修の変遷がうかがえます。石垣改修後に藩主となった丹羽氏は城下町整備に力を注ぎました。

 明利は43歳で亡くなり、菩提寺の顕法寺(竹田)に眠っています。墓碑と位牌が残され、昨年7月に市指定文化財に指定されました。位牌が入った厨子を特別公開しています。

 午前9時~午後4時30分。3月25日・4月22日、5月以降月曜休館。常設展は有料(一般200円、高校生以下100円)。問い合わせは歴史館(電話0243-22-3220)。

父嘉明と明利、会津・二本松の歴史など分かりやすく紹介
市文化財に指定された加藤明利の位牌と厨子
顕法寺の墓地最高所にある墓所
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